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■九州国立博物館。

今週も、大宰府天満宮に行ってきました。
なんと、二週続けての大宰府もうで、である。今回は、奥さん方のお母さんが福岡に来られたので、じゃあ、先日出来た「九州国立博物館(以下、九博」見物でも行こうじゃないか、との発案から今回の「旅」と相成ったとワケである。
初夏の大宰府は、先週に引き続き、心地よい風と、程よい気温で、たいへん気持ちよい気候であった。
天満宮を参拝したあと、皆で九博へ。
天井が七色に変わるエスカレーターに乗って、館がある山頂へ向かう。近代的な設備と、大宰府の山々に囲まれた自然のコントラストが、大変すばらしい。
上に登ると、ガラス張りのモダンな建造物が現れる。曲線的なフォルムがなんとも見事だ。新緑がまぶしく、目に入る。
皆で館の中に入る。義母は、規模の大きさにびっくりしていた。
義母は、常設展をじっくり時間をかけて、観覧した。また、二人の子供と妻は、「あじっぱ」というプレイルーム、というのだろうか、アジアの玩具で遊べるスペースで大はしゃぎであった。
僕はと言えば、ちょうどエントランスでジャズの演奏会が催されていたので、ずっとそれに聞き入っていた。
サックスの音色がとても心地よかった。奏者はKENG、とクレジットされていた。ケンジ、と読むのだそうだ。KENNY-G(ケニーG)を意識しているのだろうか。それはともかく、素晴らしい演奏であった。
九博の中で三者三様の楽しみが出来た。それぞれに大変豊かな気持ちになれた、と思う。使ったお金は、お賽銭と、途中休憩したときの梅が枝餅の代金だけであった。
豊かな気持ちと、僅かなコスト。なんともパフォーマンスの高い過ごし方であった、と思った。
■スニーカー。

スニーカーが汚れてきたので買い換えた。
生成りのキャンパス地に、モスグリーンのラインが気に入った。名称を見ると「スーパースター」と書いてあった。
この型が、有名なのか、名品なのか、かっこいいモデルなのか、それとも古いものなのか、全く知らないが、「スーパースター」というぐらいだから、すごいものなのだろう。
箱には、「メイド・イン・インドネシア」と書いてあった。
この靴を作った人は誰なのだろう。そんなことに興味が移った。
遠く離れた日本の九州の、福岡の、そのへんのどこにでもいるおっさんの手に渡ったこの靴。
誰が作ったかは知らないけど、すこしばかり大事に履かせてもらおう、と思った。
それが、今まで履きつぶしてきた、たくさんの靴に対するせめてもの償いだ、などと、なぜか、今になって、感じている。
■博多らーめん一番山。

春日原にある「一番山」というラーメンやさんに行きました。
ラーメンが出来るまで、しばしの時間、ボケーッとしながらテーブルの上を眺めていたら、メニューがあったので、しかたなくそれを見ていたら、なかなか感心するようなことが書いてあった。
このお店の器は、スーパーセラミックスという特別な磁器で出来ているそうである。
なんでもこのスーパーセラミックスというのは、磁器なので鉛が出ずに、体に安全で、傷にもなりにくく、衛生的でスープが冷めにくく、ラーメンが美味しく食べられるとのことだ。
麺とか、スープとかに、こだわっている、というのはよく聞くが、器にこだわっているラーメンやさんは、あんまり聞いたことがないなあ、と思いながら、感心した。
けど、「鉛が出ず」って何なんだろう‥。鉛が出ずにって、他の店の器は、鉛でるんかい!って思わずツッコミを入れたくなったのだが。
これからは、ラーメンやさんに入ったら、「器から鉛出ませんか?」って店主に聞かなきゃね。って、本当に聞いたら殴らされるだろうなあ〜。
それで、肝心の味のほうはというと、結構あっさりした感じで、妙な調味料も入ってなさそうで、こちらも健康志向、といったような趣で、なんとなく首尾一貫したものを感じました。
以上です。
■折尾。

折尾駅に初めて降り立った。
鹿児島本線と交差して、福北ゆたか線、という線がある。筑豊本線とも呼ぶ。炭鉱地である筑豊と北九州を結んでいるので、石炭が重要なエネルギー源であったときには、輸送で大活躍したことと思う。
しかし、石炭の需要も大幅に減った現在では、輸送の需要もなく、駅のたたずまいにもどことなく寂しさを感じてしまう。
駅からすこし行ったところに、「セントマザー病院」という病院があった。
どこかで耳にしたことがあるな、と思いだした。ここは不妊治療で有名な病院だ。
どことなく寂しさを感じてしまうこの街角も、きっと子供を求めるご夫婦にとっては、忘れられない地になることだろう。
夕暮れ時。二つの線が交差するホームには、多くの人たちの姿があった。きっと、それぞれの人が、それぞれの思いの中で、何かをつむいでいるのであろう。
■人生の疑問。
「養老孟司 太田光 人生の疑問に答えます」(NHK出版)という本を読んでいる。
人生相談、ではなくて、「人生の疑問に答える」というタイトルに、何だかセンスを感じてしまう。
人生相談、というと、ものすごく主観的で、なんとも重々しく、つい身構えてしまうのだが、「人生の疑問」というと軽い感じだし、人生そのものを自分から離すことで、かえって気付く「真実」もある、と思うからだ。
というわけで、内容はと言えば、見方によっては、深刻なんだろうけど、どこか楽天性が感じられるタッチに仕上がっている、と思う。
中につい身につまされる一節がありました。
旧厚生省の研究所の調査で、夫から妻へ、妻から夫への愛情を新婚から5年ごとに結婚15年目までアンケート調査を行ったものがあるらしい。
それを点数にして統計をとると、15年間を通じて夫から妻への愛情は変わらないのに対して、妻から夫への愛情は右肩下がりだという。
それで、その理由は、妻は家事を手伝わない、けんかをした、とかそういうことは問題にしていなくて、子供が小さいときに夫が本気で子育てに協力しなかったことが一番大きな理由らしい。
子育ての一番大変な時期に夫が「おれが代わってやるから」というのがないということだそうだ。
‥思わず、汗がたらり、と流れる感じがした。
続きとか前後の内容に関しては、本書を是非ご覧くださいませ。
人生相談、ではなくて、「人生の疑問に答える」というタイトルに、何だかセンスを感じてしまう。
人生相談、というと、ものすごく主観的で、なんとも重々しく、つい身構えてしまうのだが、「人生の疑問」というと軽い感じだし、人生そのものを自分から離すことで、かえって気付く「真実」もある、と思うからだ。
というわけで、内容はと言えば、見方によっては、深刻なんだろうけど、どこか楽天性が感じられるタッチに仕上がっている、と思う。
中につい身につまされる一節がありました。
旧厚生省の研究所の調査で、夫から妻へ、妻から夫への愛情を新婚から5年ごとに結婚15年目までアンケート調査を行ったものがあるらしい。
それを点数にして統計をとると、15年間を通じて夫から妻への愛情は変わらないのに対して、妻から夫への愛情は右肩下がりだという。
それで、その理由は、妻は家事を手伝わない、けんかをした、とかそういうことは問題にしていなくて、子供が小さいときに夫が本気で子育てに協力しなかったことが一番大きな理由らしい。
子育ての一番大変な時期に夫が「おれが代わってやるから」というのがないということだそうだ。
‥思わず、汗がたらり、と流れる感じがした。
続きとか前後の内容に関しては、本書を是非ご覧くださいませ。


