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■マーケティング。
先日、繊研新聞のコラム「FBへの提案」(ちなみに、FBとは、ファッションビジネス)というコラムで、「現場主導型マーケティングで勝つ」という記事が載っていた。
ちなみに、プランドーム代表取締役 三輪秀男氏という方の提言である。
氏によれば、「マーケティング」とは、分かりやすく言えば、買い手の立場に立った売り方の方法論であり、「マーーチャンダイジング」とは、作り方や買い方の方法論である、ということだ。
また、もう少し詳細な説明として、マーケティングとは、「顧客の立場に立ってニーズとウォンツを分析し、顧客のために商品やサービスを円滑に提供するいっさいの企業活動を言う。製品計画・販売促進・広告宣伝・市場調査など」という風に書かれている。
またマーチャンダイシングとは、「商品化計画であり、適正な商品を、適正な場所に、適正な時間へ、適正な量で、適正な価格をもって提供するために立案すること」とされている。
どうも、「マーケティング」と「マーチャンダイシング」とは、対になっているようだ。
マーケティングは、あちらの立場。マーチャンダイシングは、こちらの立場。そんな感じがするなあ。
すると、人間それぞれ、互いに考えというものは違ったりするから、そこで「ずれ」が生じてくるわけなので、その「ずれ」みたいなものがロスとか、無駄とかそんなもので表れてくるのだろうね。
それで、互いを知る、というか、コミュニケーションというものが大事になってくるのだろうけど、ここが味噌なのではないか、という気がします。
文末に、しょせん男性諸氏は、女性の気持ちはわかりづらい、という認識に立つべきだ、という提言が作者からあった。女性に謙虚に耳を傾けよ、ということが書いてある。
ああ、マジで、耳が痛い‥。
ちなみに、プランドーム代表取締役 三輪秀男氏という方の提言である。
氏によれば、「マーケティング」とは、分かりやすく言えば、買い手の立場に立った売り方の方法論であり、「マーーチャンダイジング」とは、作り方や買い方の方法論である、ということだ。
また、もう少し詳細な説明として、マーケティングとは、「顧客の立場に立ってニーズとウォンツを分析し、顧客のために商品やサービスを円滑に提供するいっさいの企業活動を言う。製品計画・販売促進・広告宣伝・市場調査など」という風に書かれている。
またマーチャンダイシングとは、「商品化計画であり、適正な商品を、適正な場所に、適正な時間へ、適正な量で、適正な価格をもって提供するために立案すること」とされている。
どうも、「マーケティング」と「マーチャンダイシング」とは、対になっているようだ。
マーケティングは、あちらの立場。マーチャンダイシングは、こちらの立場。そんな感じがするなあ。
すると、人間それぞれ、互いに考えというものは違ったりするから、そこで「ずれ」が生じてくるわけなので、その「ずれ」みたいなものがロスとか、無駄とかそんなもので表れてくるのだろうね。
それで、互いを知る、というか、コミュニケーションというものが大事になってくるのだろうけど、ここが味噌なのではないか、という気がします。
文末に、しょせん男性諸氏は、女性の気持ちはわかりづらい、という認識に立つべきだ、という提言が作者からあった。女性に謙虚に耳を傾けよ、ということが書いてある。
ああ、マジで、耳が痛い‥。
■文化街のラーメン「学」。

我々の会社は、文化街にほど近いところに位置している。
と、ここで、「文化街」などと言っても、久留米の方以外ではおわかりにならない、であろう。
「文化街」とは、何を隠そう(いや、隠す必要はないが)飲み屋街である。中州、ススキノ、文化街!というのが日本の三大飲み屋街という風に記憶しているが、違ってたら、こそっと教えてほしい。
それで、その文化街も、久留米の中での飲み屋王!の座を欲しいままにしていたのだが、近年は、ドーナツ化現象と、ライフスタイルの変化により、ややそのパワーに陰りが出ている模様である。
古き良き思いで、と申しますか、昔のパワフルな文化街を知っておる私としては、なんとも憤懣やるかたなし、という具合に、ちょっとばかり寂しい思いをしているのも事実で、こう昔のなんとも怪しく、でもちょっと社交の雰囲気のある、「あるべき文化街」の復活を心待ちにしている次第である。
と、いうことはさておき、文化街にラーメン屋があった。と、いうか、久留米でラーメンを食べるとしたら、こことここ!という具合に決め込んでいたので、近くにこんな店があるなんて知らなかったのである。
その店の名を「学」という。なんとも、上品な名前ではないか。
今日、初めて、入って、ラーメンを食した。久留米のラーメンは、とんこつ味で有名だが、ここのは、その流れに真っ向から刃向かい(?)、薄口しょうゆ味である。というか、ダシ味とでも言ったらいいのだろうか。普段、とんこつを食べなれている私としては、ちょっと意表をつく感じだったのだが、食べてみるとなんともしみじみと心がホッとする感じの味であった。
とんこつが苦手な女性にもお勧めかもしれない。あと、飲んだ帰りとかね。
というわけで、知らないうちに、久留米のラーメン事情も激戦の様相を呈している、というわけで、以上、本日のラーメン通信、これでお開きとさせていただきたく思います。
■九州国立博物館。

今週も、大宰府天満宮に行ってきました。
なんと、二週続けての大宰府もうで、である。今回は、奥さん方のお母さんが福岡に来られたので、じゃあ、先日出来た「九州国立博物館(以下、九博」見物でも行こうじゃないか、との発案から今回の「旅」と相成ったとワケである。
初夏の大宰府は、先週に引き続き、心地よい風と、程よい気温で、たいへん気持ちよい気候であった。
天満宮を参拝したあと、皆で九博へ。
天井が七色に変わるエスカレーターに乗って、館がある山頂へ向かう。近代的な設備と、大宰府の山々に囲まれた自然のコントラストが、大変すばらしい。
上に登ると、ガラス張りのモダンな建造物が現れる。曲線的なフォルムがなんとも見事だ。新緑がまぶしく、目に入る。
皆で館の中に入る。義母は、規模の大きさにびっくりしていた。
義母は、常設展をじっくり時間をかけて、観覧した。また、二人の子供と妻は、「あじっぱ」というプレイルーム、というのだろうか、アジアの玩具で遊べるスペースで大はしゃぎであった。
僕はと言えば、ちょうどエントランスでジャズの演奏会が催されていたので、ずっとそれに聞き入っていた。
サックスの音色がとても心地よかった。奏者はKENG、とクレジットされていた。ケンジ、と読むのだそうだ。KENNY-G(ケニーG)を意識しているのだろうか。それはともかく、素晴らしい演奏であった。
九博の中で三者三様の楽しみが出来た。それぞれに大変豊かな気持ちになれた、と思う。使ったお金は、お賽銭と、途中休憩したときの梅が枝餅の代金だけであった。
豊かな気持ちと、僅かなコスト。なんともパフォーマンスの高い過ごし方であった、と思った。
■スニーカー。

スニーカーが汚れてきたので買い換えた。
生成りのキャンパス地に、モスグリーンのラインが気に入った。名称を見ると「スーパースター」と書いてあった。
この型が、有名なのか、名品なのか、かっこいいモデルなのか、それとも古いものなのか、全く知らないが、「スーパースター」というぐらいだから、すごいものなのだろう。
箱には、「メイド・イン・インドネシア」と書いてあった。
この靴を作った人は誰なのだろう。そんなことに興味が移った。
遠く離れた日本の九州の、福岡の、そのへんのどこにでもいるおっさんの手に渡ったこの靴。
誰が作ったかは知らないけど、すこしばかり大事に履かせてもらおう、と思った。
それが、今まで履きつぶしてきた、たくさんの靴に対するせめてもの償いだ、などと、なぜか、今になって、感じている。
■KBCのべりカード。
■本田宗一郎の「やりたいことをやれ」。
あらゆることにおいて、自分の中に
理念、というものを、持ちたい、と思う。
また、同時に、あるはずだと信じている。
先日、本田宗一郎の「やりたいことをやれ」
(PHP研究所)という本を読んでいたら、
「思想が行動の成否を決める」ということが
書いてあって、それを読んでから、その思いが
さらに強くなった。
その内容にものすごく感銘を受けたので、
全文、引用させていただく。
「行動にはつねに動機があり、目的がある。
動機が正義であり、目的が善であって、その行動だけが
悪だということは、人間にはありえない。
行動を生む動機とか目的は、その人間の思想が組み立てる
ものだ。思想が正しくなければ、正しい行動は生まれない。
何をするかより、何を考えているかが重要なのである。
行動という刃物が、利器となるか、凶器となるかは、その
行動を支える思想あるいは理論が正しいか、正しくないか
によって決まるのだと思う。」
理念、というものを、持ちたい、と思う。
また、同時に、あるはずだと信じている。
先日、本田宗一郎の「やりたいことをやれ」
(PHP研究所)という本を読んでいたら、
「思想が行動の成否を決める」ということが
書いてあって、それを読んでから、その思いが
さらに強くなった。
その内容にものすごく感銘を受けたので、
全文、引用させていただく。
「行動にはつねに動機があり、目的がある。
動機が正義であり、目的が善であって、その行動だけが
悪だということは、人間にはありえない。
行動を生む動機とか目的は、その人間の思想が組み立てる
ものだ。思想が正しくなければ、正しい行動は生まれない。
何をするかより、何を考えているかが重要なのである。
行動という刃物が、利器となるか、凶器となるかは、その
行動を支える思想あるいは理論が正しいか、正しくないか
によって決まるのだと思う。」
■ミスタードーナツの広告。

朝、西鉄電車に揺られて、福岡から久留米まで通勤しているのであるが、朝ごはんを食べるのに忘れたときに、西鉄久留米駅にある「ミスタードーナツ」で朝食を買ったり、食べたりすることがたまにある。
それで、先日、立ち寄って、少々時間があったので、店内でカリーパン(カリー?ちょっと赤面‥)などを食べつつ、ランチョンマット、っていうのかな、下に敷いてある紙の広告を眺めていた。
そこには、こんなことが書いてあった。
会社からの帰りに、ふと、同僚の話を思い出した。
頑固で有名な上司が、帰りの電車で
ドーナツの箱をもって揺られていた、という話。
「子供へのおみやげなのか知らないけどさ、
あの頑固ブチョーにもそんな顔があったんだーと思って」
それだけの話、だったけど。
ガタンゴトン、電車がもうすぐ駅に着く。
長い間、父とゆっくり話をしていない。
父がよく買ってきてくれたドーナツ、あれ何ていったっけ。
お店に寄って、探してみよ。
ゆっくり話したい夜に。
もって行こ。もって帰ろ。
ミスタードーナツ
そのような文章とともに、夕暮れの町並みが、写っていた。
‥広告を読みながら、そういえば、小さいとき、父親のお土産がすごく楽しみだったことを思い出した。
広告一枚で、ほのぼのとした気持ちになった。
なんとも、単純な俺ではある。
■どんぐりころころ。
お題「どんぐりころころ。」
♪どんぐりころころ、どんぐりこ。
お池にはまって、さあたいへん。
どじょうが出てきて、こんにちわ。
ぼっちゃん、いっしょに遊びましょ♪
‥、って、どんぐりよお。おめえ、
遊んでる場合かよ!
はまって、たいへん、だっってんだろ。
おめえよお!
‥と、いうようなお話を今日ラジオでやってました。
確か、RKBやったと思います。
♪どんぐりころころ、どんぐりこ。
お池にはまって、さあたいへん。
どじょうが出てきて、こんにちわ。
ぼっちゃん、いっしょに遊びましょ♪
‥、って、どんぐりよお。おめえ、
遊んでる場合かよ!
はまって、たいへん、だっってんだろ。
おめえよお!
‥と、いうようなお話を今日ラジオでやってました。
確か、RKBやったと思います。
■だざいふえん。

久しぶりに太宰府天満宮に行きました。
天満宮には、だざいふえん、という遊園地が併設されてある。先日入場チケットをもらったので、子供達のリクエストもあり、のこのこと出かけたのである。
しかし、子供って、遊園地好きですね〜。
なんか、コーヒーカップとか、ゴーカートとか、たわいもない乗り物にのって、キャッキャと叫んでるのか、喜んでいるのだ。
それを見ながら、まあ俺も、子供孝行、出来たかな、などと一人、悦に入ったりしている。しかし、子供孝行‥って言うか?フツー‥。
それはさておき、だざいふえん=寂れた感じ、って正直思っていましたが、少しずつ新しい試みもなされているようだ。
期間限定なのか、何なのかわかりませんが、なんだか「レゴ」とか「ビーナ」とかの知育玩具が無料で使える部屋が新設されていて、しかもここが座敷スタイルで遊ぶスペースでして、なんか子供そっちのけで遊んでしまっとりました。
あなたの脳年齢は何歳?とかいうDSのようなゲームもあって、早速チャレンジしました。結果は、言いたくありません‥。
そんなわけで、2時間くらい、結構楽しませていただきました。
園を出て、まわりを見渡すと、緑が豊かに目に飛び込んできました。小さいころから、しょっちゅう行ってたので気づかなかったのですが、太宰府ってすごい癒されるロケーションです。
「新緑の季節です。
あなたを癒しの世界へと誘う、初夏の太宰府天満宮へ‥。」
■博多らーめん一番山。

春日原にある「一番山」というラーメンやさんに行きました。
ラーメンが出来るまで、しばしの時間、ボケーッとしながらテーブルの上を眺めていたら、メニューがあったので、しかたなくそれを見ていたら、なかなか感心するようなことが書いてあった。
このお店の器は、スーパーセラミックスという特別な磁器で出来ているそうである。
なんでもこのスーパーセラミックスというのは、磁器なので鉛が出ずに、体に安全で、傷にもなりにくく、衛生的でスープが冷めにくく、ラーメンが美味しく食べられるとのことだ。
麺とか、スープとかに、こだわっている、というのはよく聞くが、器にこだわっているラーメンやさんは、あんまり聞いたことがないなあ、と思いながら、感心した。
けど、「鉛が出ず」って何なんだろう‥。鉛が出ずにって、他の店の器は、鉛でるんかい!って思わずツッコミを入れたくなったのだが。
これからは、ラーメンやさんに入ったら、「器から鉛出ませんか?」って店主に聞かなきゃね。って、本当に聞いたら殴らされるだろうなあ〜。
それで、肝心の味のほうはというと、結構あっさりした感じで、妙な調味料も入ってなさそうで、こちらも健康志向、といったような趣で、なんとなく首尾一貫したものを感じました。
以上です。
■折尾。

折尾駅に初めて降り立った。
鹿児島本線と交差して、福北ゆたか線、という線がある。筑豊本線とも呼ぶ。炭鉱地である筑豊と北九州を結んでいるので、石炭が重要なエネルギー源であったときには、輸送で大活躍したことと思う。
しかし、石炭の需要も大幅に減った現在では、輸送の需要もなく、駅のたたずまいにもどことなく寂しさを感じてしまう。
駅からすこし行ったところに、「セントマザー病院」という病院があった。
どこかで耳にしたことがあるな、と思いだした。ここは不妊治療で有名な病院だ。
どことなく寂しさを感じてしまうこの街角も、きっと子供を求めるご夫婦にとっては、忘れられない地になることだろう。
夕暮れ時。二つの線が交差するホームには、多くの人たちの姿があった。きっと、それぞれの人が、それぞれの思いの中で、何かをつむいでいるのであろう。
■マーチャンダイジング。
ファッションビジネス実学講座(繊研新聞社)、第2講「デジタル情報革命とファッション産業」の中から抜粋。
伊勢丹執行役員営業企画担当者の大川恵之助氏が、「マーチャンダイジング」という言葉について、次のように語っている。
『商品が企画されてから、お客様が満足するまでのプロセスにおいて生じる「計画」「実行」「反省」「対策」、すべての流れを総称してMDといいます。』
計画、実行は、出来る。いや、計画も難しいし、実行はさらに難しいから出来るかどうか。
しかし、さらに「反省」というとさらに難しい。
かつ、「対策」である。これがまた素直に現実を受け入れないと、出来ないことである。
「計画と実行」「反省と対策」このように二つに括ると、考えやすいが、それにしても「マーチャンダイジング」とは、かくも重要かつ困難であり、また見方によっては、何かわくわくするようなものかもしれない。
ひとりひとりに、「マーチャンダイジング」が存在しているのかもしれない。
伊勢丹執行役員営業企画担当者の大川恵之助氏が、「マーチャンダイジング」という言葉について、次のように語っている。
『商品が企画されてから、お客様が満足するまでのプロセスにおいて生じる「計画」「実行」「反省」「対策」、すべての流れを総称してMDといいます。』
計画、実行は、出来る。いや、計画も難しいし、実行はさらに難しいから出来るかどうか。
しかし、さらに「反省」というとさらに難しい。
かつ、「対策」である。これがまた素直に現実を受け入れないと、出来ないことである。
「計画と実行」「反省と対策」このように二つに括ると、考えやすいが、それにしても「マーチャンダイジング」とは、かくも重要かつ困難であり、また見方によっては、何かわくわくするようなものかもしれない。
ひとりひとりに、「マーチャンダイジング」が存在しているのかもしれない。
■人生の疑問。
「養老孟司 太田光 人生の疑問に答えます」(NHK出版)という本を読んでいる。
人生相談、ではなくて、「人生の疑問に答える」というタイトルに、何だかセンスを感じてしまう。
人生相談、というと、ものすごく主観的で、なんとも重々しく、つい身構えてしまうのだが、「人生の疑問」というと軽い感じだし、人生そのものを自分から離すことで、かえって気付く「真実」もある、と思うからだ。
というわけで、内容はと言えば、見方によっては、深刻なんだろうけど、どこか楽天性が感じられるタッチに仕上がっている、と思う。
中につい身につまされる一節がありました。
旧厚生省の研究所の調査で、夫から妻へ、妻から夫への愛情を新婚から5年ごとに結婚15年目までアンケート調査を行ったものがあるらしい。
それを点数にして統計をとると、15年間を通じて夫から妻への愛情は変わらないのに対して、妻から夫への愛情は右肩下がりだという。
それで、その理由は、妻は家事を手伝わない、けんかをした、とかそういうことは問題にしていなくて、子供が小さいときに夫が本気で子育てに協力しなかったことが一番大きな理由らしい。
子育ての一番大変な時期に夫が「おれが代わってやるから」というのがないということだそうだ。
‥思わず、汗がたらり、と流れる感じがした。
続きとか前後の内容に関しては、本書を是非ご覧くださいませ。
人生相談、ではなくて、「人生の疑問に答える」というタイトルに、何だかセンスを感じてしまう。
人生相談、というと、ものすごく主観的で、なんとも重々しく、つい身構えてしまうのだが、「人生の疑問」というと軽い感じだし、人生そのものを自分から離すことで、かえって気付く「真実」もある、と思うからだ。
というわけで、内容はと言えば、見方によっては、深刻なんだろうけど、どこか楽天性が感じられるタッチに仕上がっている、と思う。
中につい身につまされる一節がありました。
旧厚生省の研究所の調査で、夫から妻へ、妻から夫への愛情を新婚から5年ごとに結婚15年目までアンケート調査を行ったものがあるらしい。
それを点数にして統計をとると、15年間を通じて夫から妻への愛情は変わらないのに対して、妻から夫への愛情は右肩下がりだという。
それで、その理由は、妻は家事を手伝わない、けんかをした、とかそういうことは問題にしていなくて、子供が小さいときに夫が本気で子育てに協力しなかったことが一番大きな理由らしい。
子育ての一番大変な時期に夫が「おれが代わってやるから」というのがないということだそうだ。
‥思わず、汗がたらり、と流れる感じがした。
続きとか前後の内容に関しては、本書を是非ご覧くださいませ。
■情報の共有化。
情報の共有化、という言葉をよく使う。
自分自身も使うし、回りの人も使っているし、本などを読んでても、なんだかよく目にすることがある。
それで、何となく思うんだが。
これって、「情報」ではなくて、「事実」なのではないだろうか?
このようなことがありました、というのは、事実ということになる。
ということは、「情報の共有化」というのは、「報告」ということになるのだろうか?
事実に対して、「こうではないだろうか?」と考えるのは、仮説という。
よく、仮説と意見を混同したりするし、事実と仮説も混同しやすい。
だから何なんだ、と言われると困ってしまうが。
情報、というのは、情けに報いる、と書くのだが、それは何か意味があるのだろうか。
それは、つまり、情報と呼ぶものが、こちら側のアクションを促すようなものであることを意味しているのだろうか。
つまり「やむにやまれず」というヤツだ。
「かくなれば、かくなるものと思いなば、やむにやまれぬ大和魂」というフレーズはけっこう覚えてるものの一つだ。
そういう意味においては、情報というのは、何か危機的な状況をはらんでいることになる。
つまり、情報という言葉は、結構面倒くさいシロモノであるということだ。
と、そんなことが分かっても、「だから何なんだ」と言われると、何も言えなくてつらいものがあるが。
「何も言えなくて、夏」とかいう歌があったけど、あれはなんと言う人が歌っていたっけ。
夏は結構、いろんなことが言えそうな季節だと思うが。
とりとめのない、話なのでこの辺で終了です。
自分自身も使うし、回りの人も使っているし、本などを読んでても、なんだかよく目にすることがある。
それで、何となく思うんだが。
これって、「情報」ではなくて、「事実」なのではないだろうか?
このようなことがありました、というのは、事実ということになる。
ということは、「情報の共有化」というのは、「報告」ということになるのだろうか?
事実に対して、「こうではないだろうか?」と考えるのは、仮説という。
よく、仮説と意見を混同したりするし、事実と仮説も混同しやすい。
だから何なんだ、と言われると困ってしまうが。
情報、というのは、情けに報いる、と書くのだが、それは何か意味があるのだろうか。
それは、つまり、情報と呼ぶものが、こちら側のアクションを促すようなものであることを意味しているのだろうか。
つまり「やむにやまれず」というヤツだ。
「かくなれば、かくなるものと思いなば、やむにやまれぬ大和魂」というフレーズはけっこう覚えてるものの一つだ。
そういう意味においては、情報というのは、何か危機的な状況をはらんでいることになる。
つまり、情報という言葉は、結構面倒くさいシロモノであるということだ。
と、そんなことが分かっても、「だから何なんだ」と言われると、何も言えなくてつらいものがあるが。
「何も言えなくて、夏」とかいう歌があったけど、あれはなんと言う人が歌っていたっけ。
夏は結構、いろんなことが言えそうな季節だと思うが。
とりとめのない、話なのでこの辺で終了です。
■桜。





